テレクラ女性と即ハメしてお互いの満たされない部分を満たした

テレクラ女性と即ハメしてお互いの満たされない部分を満たした

「三年ぶりにセックスをするんです」といった彼女は、まさにテレクラにおける「宝石」のような女性であったように私には感じられたものだ。

テレクラを利用していると、金銭を得るために肉体関係を提示してくるタイプの女性との電話回線につながる回数がとにかく多く、そのような女性とばかり話していると、段々と感覚が麻痺してくるのでもあって、「素人女性とのセックスというものは、金銭を対価にして得られる交換商品でしかない」というような殺伐とした感情にやがて全身が飲み込まれていく。

「テレクラで無私の愛などを求めてはいけないのだ」などと賢しらな顔で玉座から宣言してみせる私は、その冷徹で突き放した態度の仮面の下では、その実、愛に飢えて血の涙を流している孤児に過ぎない。

金銭を媒介にした孤立した王のセックスをいくら繰り返したところで、この「愛」を求める私の内部の「母のない子供」の乾きは決して癒やされるということがない。

そう知りながらも、私は自分のなかから失われた何かを取り戻そうとして空転し、金銭を媒介にして性交渉に成功した女性たちの女性器にみずからの剛直を荒々しくねじ込み、射精のあとは虚しくなるだけと知りながらも、鬼気迫るようなピストン運動をやめることができないのだし、テレクラでの即アポ&即ハメをまた再開してしまう。

そんなときだ、彼女とツーショットダイヤルの回線で繋がったのは。カラカラに乾いた精神のもとツーショットダイヤルを開始した私は、彼女の「セックス」を希求するその純粋な姿勢に面食らうことになったのだが、やがて、一滴の水がひびわれた表面から内部に浸透していくように、私の精神の最奥部に彼女の純粋さの指先が触れることになった。

裕福な家庭で父親の庇護のもと暮らしながら年を重ねてしまった彼女は、そもそも「金銭」など必要としてはいなかった。何不自由ない満たされた暮らしのなかで「決して満たされないもの」がどうしても残る、その「満たされないもの」は、「彼女の股間の奥底の疼き」という悲鳴を、日に日に強めていき、やがて、ベッドの上で悪夢から目覚めて叫ぶ彼女の実際の悲鳴と重なっていく。

彼女に必要なのは、何不自由ない満たされた暮らしではなく、父親によって作られた「箱庭」からの脱出であったのだが、それは、彼女の内側に時間をかけて蓄積された「うみ」のようなものを、セックスを通して他者の肉体と関わりながらすべて外側へと解放させる、という意味で、「外」への二重の脱出を意味してもいた。

そんなとき、彼女が利用したのがテレクラであったのだし、そのテレクラで出会ったのが、他でもない、「決して満たされないもの」を、また違った意味で抱えている「孤立した王であり孤児」である私だった、というわけだ。

そんな二人のセックスが燃え上がらないはずはないのだし、「金銭を媒介した性行為」では得ることができない感覚は、「孤立した王であり孤児」である私の「孤児」の魂を震わせて、慟哭させた。

その私の慟哭は、父親からの解放を願い純粋なセックスを求めていた彼女の喘ぎ声と同期しながら、ラブホテル全体を震撼させるようでもあった。

孤児の私の滂沱たる涙はスペルマという形で彼女の膣内へと流れたのだし、彼女は「膣内射精」という内側への運動を通して、逆説的に「外へ外へと解放される自分」を感じて咽び泣くようなエクスタシーの声とともに痙攣をつづけた。

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